Uのblog

『アホ』な旅やイベントに憧れる人のブログ。

読書の夏

はじめに

 

ある講義でお世話になった教授のブログにこんなことが書いてあった。

 

本を読むだけではその内容を理解したかどうかはわからない。理解した気になっている、という場合が多い。本当の理解を助けるためにはアウトプットをしなければならない。 

 

原文ママではないが、この趣旨のことが書いてあった。たしかに、読んでいるときには「ああそうだな」と思っていてもいざそれを自分の力で組み立てろ、なんて言われても何から手をつけていいのか…全く手が出ないと言うことは今までにもよくあった。公式は理解しているけどそれを使う場面がわからないとかはわかりやすい例だろうか。とにかく、アウトプットの重要性には気がつくことができた。

 

つい先日、外山滋比古先生の『思考の整理学』という本を読み終えた。これもまた別の講義でお世話になった教授のすすめで読むことにしたものである。なかなか読むのに時間はかかってしまったがなんとか積ん読の餌にすることは避けられた。しかしまだ読んだ気になっただけ、という可能性は否定できない。だから、この場を借りて自分なりの"拡散的"思考を加えたこの本の理解をアウトプットしていく。

 

創造性・人間

 

前半部分で特に感じたのは、自分が高校までの勉強で一体何を学ぶことができたのか、ということであった。高校までの教育はグライダー人間、受動的にやるべきことを与えられてそれを的確にこなす人間を養成する場となっている。しかし今やコンピューターという最高のグライダー能力を持つライバルが現れた。それでは人間はこの先どうすればいいのだろうか。

 

創造性を発揮せよ、というのがこの書の答えである。ことばでは簡単に言えるが具体的な行動としては?

 

それこそ自分で"創造的に"考えなければならない。

 

…が私たちにはある程度の枠の中で創造性を発揮する場が与えられている、あるいは与えられる予定がある。レポートや卒業論文である。無から有を造り出す作業は創造そのものだろう。

 

そしてそれに当たるヒントがこの書の大部分に渡って与えられている。以下でみていく。

 

芽吹きと選別

 

まずはテーマを決めたい。

テーマは素材とアイデアが時間をかけて反応することでできあがる。素材は自分が疑問に感じたこと、違和感を覚えること。これらはしっかり手帳にメモしておくのがよい。なぜメモをするのか。忘れるためである。忘れないようにメモをすると言うがそれは連続的な記憶のためではない。最終的には連続的になるかもしれないが、書いた当初は断続的な記憶のためである。

 

人間無理をするのはあまり向いていない。熱心に考え事をしてもあまりよくないという。忘れて、しばらくたった頃にまたみる。そうするとまた新たな見方ができるかもしれない、というのは誰しもが経験したことがあるだろう。私も、前日考えて全くわからなかった数学の問題が、翌日5分考えたらわかったなどという経験は数え切れないほどある。

 

じゃあずっとほったらかしでいいのか、というとそうでもない。いつまでたっても斬新な考えが下りてこない場合だってある。下りてきても50年後とかだったら困る。

 

その時間を少しでも短縮するために。

たくさん忘却しろ、という。私たちの頭にだって容量というものがある。こんな情報社会では常にパンクしかけの状態にあると言ってもよい。脳のメモリは削減しておきたい。忘れることを恐れてはいけない。すべての物事を記憶している優等生はコンピューターだけでいい。

 

ただ、絶対に忘れてはいけないのはどのようなことか、というのを頭で明確にしておかないと、痛い目を見る。

 

忘却するためには睡眠をしたり軽い食事を取ったり散歩をしたり。気分転換に当たるようなことをたくさんしろと言う。いままで「ふと」思いついたのはどのようなときであったか。

 

芽を出し始めたアイデアは別のノートに移してやる。コンテクストが変わると思考の流れも変わる。もう一度、お引っ越しを経た上で命の宿ったものはテーマとするに足る。

 

テーマは決まった。それでは、とにかく書いてみる。大綱を作ってみる。こういうものはスピードが肝心である。そして推敲する。あるいは、書くのではなく人に話してみるのもよい。但し気をつけなければならないこともある。むやみやたらに話してそれがはなっから否定されてしまうと困ったことになる。話す人は選び、そして自分の着想には触れないようにして話さなければ。

 

これらを経れば、よいものができあがる…はず

 

…とここまで書いてきたのだがやはりアウトプットは難しい。大筋はこうであったと信じたい。というか私はそう理解した。拡散的作用の効果を信じる。

 

終わりに

 

他の記事でも書いたが私には文章の才が全くない。本に触れてこなかった。小説も大して読まなかったがこういった論説文を自分の意思で読んだのは初めてである。そのせいか読むのに時間もかかってしまった。時間がかかったのには他にも理由があって、「本の内容は完全に理解しなければならない!」と半ば強迫観念のような形で自分を追い込んでいた。だから読み進めるときは自分がしっかり思考を研ぎ澄ませるとき、としていたらとんでもなく時間がかかってしまった。すべての内容を自分なりに理解した上で、気になるところはメモを取るようにもした。流し読みして大事そうなところをメモするだけ、とはならないように気をつけた。

 

この読み方が正解かどうかはわからない。果たして皆はどのような読み方をしているのだろうか。