Uのblog

『アホ』な旅やイベントに憧れる人のブログ。

わたしの『ファイヴ』とは。

2022年の2月11日19時10分、私の大好きなボカロ曲がついに伝説入りを果たしました。

 

Omoi氏の『ファイヴ』という楽曲です。どうして私がこの曲が好きなのか。今回は少しお話していきたいと思います。

それにあたってまずはOmoiさんとの出会いから語る必要があるでしょう。私のOmoiさんとの出会いは『小さな恋のうた(Synth Rock Cover)』でした。ボカロをあまり知らない友人とカラオケに行くにあたってなにかボカロ以外の曲も勉強しよう、そうだモンゴル800さんのあの歌とか良さそうだな、と思ってなんとなくニコニコで検索したらでてきたこのカバー。

ちょうどその時期は自分がボカロから離れている時期でもありました。

 

 

だけど。

 

 

そのカバーを聞いて、初音ミクがこんなにも気持ちをいれて歌えるのか、こんなにもすごい音圧なのにすっと耳に入ってくるような、そんな楽曲が存在するのかと衝撃を受けました。

それ以来Omoiさんの曲を漁りました。その中でも最初に聞いたのが『ファイヴ』だったんです。最初に聞いたときの衝撃は言葉で表されるものではありませんでした。イントロから重厚な音圧をしている中で、サビに入ったときもその音圧は維持しつつ初音ミクが叫ぶ。叫ぶ。改めてこんな気持ちの入れ方ができるんだという感動を覚えましたし同時にその歌詞にも感動を覚えました。

 

では、その歌詞について。

 

楽曲『ファイヴ』には

本当に伝えたいのは

[あ]から始まる5文字だけ!

という歌詞が2回、登場します。

 

突然ですが皆さんは[あ]から始まる5文字とは何だと思うでしょうか。「ありがとう」?「あいしてる」?「あいたいよ」?「あうひまで」?「あきないで」?「アルマジロ」?

 

とにかく、これに正解など存在しません。あってはいけません。

 

 

なぜならば。

 

 

「誰々がこれこれのことを感じたからこうこうこういう行動をとった」という全てを説明してしまうような文章を読んだとき、人は何を感じるでしょうか。私はそれはただの記録になってしまうと思っています。じゃあこの文章が記録になってしまう所以はなにか。

 

 

「解釈の余地を残していない」ことに尽きると考えます。

 

 

私たちが物語を読む際には少なからず、自分の中でエピソードや心情を補完しているものです。物語の中で「2ヶ月がすぎた」と言われたら、その中で登場人物が一緒に遊びに行ったりしていないだろうか、ときには喧嘩もしていないだろうか、と想像をして物語を作ります。この補完の仕方は人それぞれで、これにも正解はありません。

そして、この行為は人それぞれの経験にも依るでしょう。自分の人生経験と重ね合わせて、エピソードや心情にどのような補完をするか。

つまり、物語とは作者の描いた文章と私たちの経験、その2つの融合、あるいは昇華によって決まっているのではないか。

そう思うのです。

だから、この補完こそが物語を物語たらしめていると思うのです。ただの記録だった「物語」を点とすれば、私たちが今想像した物語は空間のある物体です。そう、核はあるけれどそこから拡がっているのだと。

 

じゃあ『ファイヴ』の歌詞に戻れば。

 

[あ]から始まる5文字を想像することが全てリスナーに任されています。 

 

多くは語られていないからこそ、登場人物にどのような性格を当てはめるかといったことにも余地が発生するでしょう。

すなわち、これは空間としての『ファイヴ』がとても広くなることを意味します。

 

そうして、聴く者一人一人が補完することによって『ファイヴ』が完成するのです。一人一人の『ファイヴ』が。

 

これこそが、私が出会って以降『ファイヴ』を愛する理由。

 

これからも私やみなさんの『ファイヴ』には変遷があるでしょう。人生が反映されるのだから。

 

 

でも私はそのときそのときの『ファイヴ』を、愛していく。空間としての『ファイヴ』を愛していく。